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「趣味三昧」

 思えば私の身分は本職の歯科医師を除くと趣味の世界での古銭家であり茶人であるのでしょう。

 風流韻事を求めてふらっと「行雲しゅう跡さだまらず」の旅にいで各地の地物にグルメするのも大好きである。 しかし、これらがすべて重なって一枚になっているのが私の世界、全国各地の古銭家、茶人を訪れ昼は骨董屋の店先を覗き、 夜は粋な古旅館で選りすぐりの地酒を交わし地元の珍味を賞賛しながら、各々が持参した古銭、茶道具などを見せあい、愛であい、 古の斯界の先人を語らいその生きた時代に思いを馳せる。
 趣味でも30年・40年やっていると自ずから達する境地がある。打てば響くような共鳴を得られる友は得がたい。
 会心の知己と自我を相照らすものは「心」である。 「物」を見るに、古銭、茶道具など骨董の真贋を瞬時にして悟るのは「心の目」であり、 「人」を見るに、茶の湯、歌を通じ「主」と「客」の「心」を確認し合うのである。 人に見せるものでなく、人に見てもらうものではなく、まして自慢するものでもない。 精神的に完全に内側に向いているべき世界である。 ひとことで言えば「禅」でしょう。
 現在でも日本人の精神を代表するものは「武士の心」、「武士道」と言われています。  戦国時代、大名、武将の教養の第一は茶の湯と言われ、出陣に際し興奮する心を鎮め精神を統一するために一碗の茶を点て、 あるいはそれを押し頂いて発したと、「歌連歌(れんが)乱舞(らんぶ)茶の湯を嫌う人、 育ちのほどを知られこそすれ」という細川幽斎の歌がそれを良く表しています。
 骨董の中でも茶道具は戦国武将、江戸期各大名また明治、大正の財閥たちが競ってこれを求めた。 大名物、名物などと呼ばれるものあり、「三大肩衝茶入」の話や、松永久秀が織田信長に贈った「九十九髪茄子(つくもがみなす)茶入」、 同じく織田信長に求められ拒んで抱きかかえたまま自爆した「平蜘蛛茶釜」など話題は尽きません。 長く収集探求していると古銭でも茶道具でもいつしか天下の逸品が懐中にころがり込んでくるものです。 是非拝見したいという御仁多くあるが、 私も最近では日を改めて草庵茶室か少なくとも料亭などの茶室にて茶を点てながらお見せすることにしている。
 解らぬ方にやたら見てもらいたくないという気持ちもある。好きな座右の銘「窮巷は怪多く、 曲学は弁多し」転じて「行雲流水」「和敬清寂」を信条としている。道楽三昧言って趣味三昧の日々であろう。世紀末、落日を見ながら。

志村仁史